トップへ » 院長紹介・経歴 » 加冶矯正歯科クリニックの歴史 » 大手町時代

大手町時代

大手町時代1992年に大手町2丁目のビルの医療区にちょうど空きがあり、成人矯正専門として開業することができました。

この当時、舌側矯正で開院されている先生は当然成人矯正治療が主体でしたが、通常の矯正歯科治療で成人患者さんのみを対象に開院した専門医院は、たぶん私が初めてだったと思います。

成長発育期―いわゆる小児の患者さんは、原則的に大きな虫歯がなく、当然永久歯の欠損もない、そして歯周病も無いのが普通です。

それに対し、成人患者の特徴は、すでにクラウンや詰め物で修復された歯が多く、中には欠損歯があったり、歯周病の問題を持っている場合も少なくありません。
従って開業前は一般歯科の問題を色々とかかえている患者の矯正治療が治療の主体になると思っていました。

ところがいざ開院してみると、来院する患者さんのほとんどは20代から30代の、大手町丸の内近辺に勤める女性が多く、歯周病はおろか、虫歯や欠損歯も非常に少ない方が大部分でした。

多くのケースで患者さんの主訴は審美性の改善、要は歯並びを整え、なおかつ口を閉じたときの口元感をよりきれいにしたいということでした。
患者さんの想いに応えるため、毎日遅くまで懸命に治療を続けました。

矯正治療の目標は審美性の改善が全てというわけではなく、咀嚼や発音に対して機能的な良い影響もありますが、審美性の改善は患者さんご自身が非常に実感しやすいこともあり、治療結果に喜んでいただけることで、やりがいも感じていました。

そうこうしてるうちに1992年暮れ、弘岡先生が帰国。その後日比谷で新たに開業することになりました。
歯周病により本来の位置から病的に移動してしまった歯を矯正するという私の新しい仕事も始まりました。


トップへ » 院長紹介・経歴 » 加冶矯正歯科クリニックの歴史 » 大手町時代


コールバック予約