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東京歯科大学矯正科時代
東京歯科大学の矯正科は3年間のフルタイムで通う研修制度があり、1989年から入局がゆるされました。
その直前に弘岡先生がスウェーデンのイエテボリ大学のリンデ教授の下に留学することになり、2人で弘岡歯科医院の買い手を捜していましたが結局適当な方は見当たらず、雇われ院長辞めたばかりの私が先生の帰国まで、そのまま引き継ぐことになりました。
大学での研究もありますので、月曜から金曜まで新人の矯正医として診療と講義、土日は弘岡歯科の院長として一般開業医の立場から診療をする毎日となりました。
一般開業医として矯正の勉強をしてみると、ある患者さんに対して矯正治療的な見方もできるようになりました。それはあたかも患者さんに対して違う方向から光をあてるような新しい世界が広がったような体験です。
さらに私自身で歯牙移動ができるようになると、臨床の幅が大きく広がることに気づきました。
この時の一般開業医としての立場から矯正を勉強したこと、具体的には矯正の診断をできるようになったことがGP(一般歯科)の診療によい影響を与えるということが、後に私の臨床のテーマともなりました。
1992年に無事研修も終え、矯正科の非常勤講師となりました。
東京歯科大学の矯正科に入局した当時は、まだ顎関節症の開業医としてやっていこうと考えていたのですが、80年代後半から顎関節症に対する考え方が大きく変化しました。
具体的には、それまでさかんに言われていた、いわゆる顎関節症に対する、不正咬合の関与性に対する否定的な意見が主流になり始めたということです。
このことは1989年にマクニールらが中心となって出したAAOPのレポート(筆者により、ザ・クインテッセンスに邦訳済み)などから言われていましたが、1996年のNIHのコンセンサスでほぼ決着がつき現在に至ってるといっても良いかもしれません。
このような経緯から、矯正科を卒業し、身の振り方を考えたとき、顎関節症の専門医として開業しても咬合の関与性が以前に考えられているよりも少ないのであれば、開院しても経営的に難しいのではとの思いに捕われました。
時間は前後しますが、1990年にUCLAのソルバーグの元を訪れた際、不正咬合の関与性に対する否定的な意見を伺ったのと、1993年にノースカロライナ大学のでトムランディーン(顎運動で有名なハリーランディーンのご子息)が顎関節の専門家として開業した医院へ見学に訪れたところ、歯科のチェアは1台のみで、理学療法士を2人雇い、治療用のベッドが3床備え付けてあるのを見学して、「あぁもう顎関節症は歯科医の知識だけですべてが対処できる時代は終わったのかもしれない」という感慨もありました。
そのようなわけで、自分自身が勉強してきた顎関節症の治療をはじめ、一般的な補綴やペリオ(歯周病)、そして矯正歯科治療という積み重ねを考えると、成人矯正専門として開院するのが現実的だという結論に至りました。
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